Only My Rail Gun ~とある科学の超電磁砲~ を語る #01

アニメが好きで、音楽が好きで、で、そうなりゃ、耳に馴染んだ曲をカバーしたくなるのは人情と言うもの。

だけど、JFEX はちょっとやっかいな病気があって、歌うことが出来ないのです。

まあ、ライブは無理で重ね録音ならある程度数年前なら出来たのですが、今でもそれも無理になってしまいました。

そんなんで落ち込んでいてもしょうがない。

今は、デジタルの世界で歌わせることが出来るのは当然のことなのです。

JFEXも随分前から、初音ミクやその他のボーカロイドをインストールはしていました。

あくまでも、リードボーカルとしての役目をさせるのが目的でこれで作品を出してなんてことはあまり考えていませんでした。

自分の体のこと、好きなコト、ヤリタイこと、そんなことが頭の中をぐるぐる駆け巡る。

で、いいじゃない、ボカロでも、なんでも、音楽は音楽。それ以上でも以下でもない。

それで、どうなるかはわからないけど、新しい音楽チャンネルを作って投稿を始めてみました。

まあ、正直言って、反応は相当静かなものです(W

一日の視聴回数が一桁なんてことはザラで、登録者もほとんど増えません。

でも、自分の手をかけた音楽を届けたい。そしていつの日か、その心の片隅でもいいから置いて欲しい。

なんてささやかな望みを、夢をもって始まりました。

その思いで最初に作った、カバーが「Only my railgun」です。

公開した順番は必ずしも作った順番ではないのですが、このカバーは2020年の夏、8月頃に手がけました。

さて、さて、本来なら「とある科学の超電磁砲」ではなく、「とある魔術の禁書目録」から語るのが筋ではあると思います。

「とある科学の超電磁砲」は本編ではなく、番外編、所謂、スピンオフ作品だからです。

いきなりスピンオフの「とある科学の超電磁砲」から語ると言うのは本末転倒なのは百も承知なのですが、音楽的なことを言えば、「とある」シリーズの中で一番印象に残った楽曲なのです。

そしておそらくこのシリーズの中で一番有名な楽曲であるともいえます。

今でもアニソンのカラオケランキングでは上位に入っているようですし、何せ今年(2020年)はシリーズ三作目の「とある科学の超電磁砲 T」がアニメ公開されました。

十年を超えて続ているシリーズで、スピンオフも含めるとアニメは150話を超えます。

もともと、ラノベとして累計販売数は日本一を記録しているシリーズですから、息の長い作品であると同時に、根強いファンが多い作品でもあ有るわけです。

さて、大分前置きが長くなりましたが、この作品について少々思い付いたことを書きます。

まず、その設定ですが、今更ネタバレもないので遠慮しませんが、もともと本編の主人公は「上条当麻」と言う高校二年生であります。

その右手が幻想殺し(イマジンブレーカー)なる「超能力(ちから)を殺す能力」と言う一風変わった能力の持ち主であります。

この上条当麻を巡って、「(超)能力の街」である学園都市を舞台に「魔術」と「科学」が交錯しながら物語は進んでいきます。

その中で、最初に上条当麻は「不幸だぁ~」と言いながら登場するのですが、最初に関わる女子中学二年生の「御坂美琴」の別名が「RailGun」です。

最初の登場からして相当に鼻っ柱の強い女子中学生なのですが、二人の出会いは最悪です。その最悪から始まる長い物語が「とある魔術の禁書目録」なのですが、その御坂美琴を主人公にした物語が「とある科学の超電磁砲」となる訳です。

知っている人からすれば当たり前すぎて興味を引く話ではないので、まあ、ここらあたりは軽く当たっておきましょう。

興味深いのは、同じエピソードを「禁書目録」と「超電磁砲」で見比べてみると違うところがあるんですが、二人の出会いのシーンも大分違います。

その違いはあっても、キャラクターの設定は同じなので、まあ、違和感無く楽しめると思います。

シリーズの違いは、登場する人物の違いもあります。

とある科学では、主要キャラクターの佐天涙子は本編には出てきません。結構この佐天さん人気あるキャラなんですけどね(W

逆に言えば、「とある科学」ではインデックスなどの魔術側のキャラクターは出てきません。

そうそう、ネット配信なのでこのシリーズを一気に見る場合、その順番を最初は悩むと思います。

基本は公開順でいいと思います。よくそのことについて情報を公開しているサイトもあるので、参考にすればいいと思います。

それでその楽しみ方ですが、これがまた色々あるんですよね。

ストーリーを楽しむのは勿論ですが、そのキャラクターを楽しむなんてのもあります。

ストーリーはコメディからシリアスまで混ぜこぜですが、本質はかなりシリアスになっていると思います。

キャラクターを楽しむとなるとこれが多彩ですね。

色々な表情や人の組み合わせだったり、これが観ている側を飽きさせないのでしょう。

あまり視点がギャグやキャラクターに偏りすぎると本来のストーリーが見えなくなってしまいますが、ストーリー自体は先も少し書きましたが、シリアスで骨太です。

残酷な設定やシーンも多いです。人によってはここは拒絶反応があるでしょう。

そういった意味で言えば、実はあまり子供向けではないように思います。

むしろ大人が楽しめる、視聴できる内容なのかもしれません。

R指定で言えば、個人的にR15くらいでもいいように思います。

・・・続く

木綿のハンカチーフ #02

もう少し一番の歌詞にこだわりましょう。

>はなやいだ街

>都会の絵具

都会の絵具とはなんでしょうか。もう少し別の言い方をすると絵具の色は?

絵具だから色々と種類はあるかもしれませんが、

はなやいだ(色の)都会(街)の絵具

と繋げて補完すれば絵具の色のイメージが出てくると思います。

頭の中にワードを適当に埋め込まれているから、こんな補完を無意識のうちにしているように思います。

つまり彼女は彼の「はなやいだ街」でにすでに相手の変貌に対して危機感をいだき始めていると言ってもいいのかもしれません。

そして「君のへの贈り物さがすつもりだ」と繋がります。

そして、彼女は

>いいえ、欲しいものはないのよ

彼はすでに彼女の気持ちを見誤っていることがここで分かります。気持ちが離れていく最初の一歩です。

さて、ここまで一番にこだわったのは訳があります。

大概の歌詞は一番がテンプレートになっています。つまり一番の歌詞にその世界観が表され、表現のパターンが規定される場合が多い訳です。

つまり、ここまで一番で見事なテンプレートが出来ていれば、あとの作業は比較的楽なはずです。

彼女は、一番から三番まで、

>いいえあなた・・・

と三回、否定します。

この、「いいえ」から彼女のパートになるのですが、実はここからマイナーに変更になります。

三回否定したあとに、

>あなた最後のわがまま

とお別れです。今時の言葉で言えば価値観の相違ってヤツでしょうか。それが三度会って終わりと相成るわけです。

それは、この一番のテンプレートを三回踏襲すると言うことですが、まさに、起承転結の四話で終わるわけです。

そして、メルディ―についても言及しますと、そのメロディの明るさについてですが、

前半の男性のパートの部分は、

>僕は旅立つ

で、一気に高音に持っていきます。

旅立つ高揚感か都会へ出ていく期待が膨らんでいるのか、その昂った気持ちはここに凝縮されているかのようです。

そして明るいメロディ、メジャーなメロディは彼の都会へのあこがれ、期待とリンケージしていると思います。

そして、後半、彼女のパートに移行するとき

オリジナルのキーはAですが、分かりやすくするためにコードはGとして、

彼のパートかり彼女のパートに移るときベース音が

G → F# → E

コードは

G B7 Em

と流れていきます。

このコード進行はある意味鉄板です。

前半メジャーだったキーがここからマイナーになる分岐点ですが、今時な当たり前に使われていますが、45年前に歌謡曲をメインに作曲していた筒美京平はこのJ-POP感覚のコード進行をすでに取り入れていたようです。

荒井由実はいましたが、少し前には「神田川」が大ヒットしたていたくらいですから、当時とすれば随分とシャレたアレンジだったように思います。

もっともシャレたと言えば、イントロからオブリガードは当時の歌謡曲らしかぬアレンジですね。

編曲のクレジットは「筒美京平・荻田光雄」となっています。また逢う日までのイントロは筒美京平のアレンジというのは有名な話ですが、イントロで掴むというのはこの曲でも同様です。

話がそれましたが、印象的なイントロとオブリガード、キャッチ―なメロディ、前半はメジャーで彼氏の都会への憧憬を表し、後半はマイナーで彼女の危機感を合わす。

これで完璧なテンプレートが出来上がり、そのテンプレートに沿って三回価値観の相違を見出して、四番でお別れです。

恋物語を終わらすのにあと何か必要ですかって感じですね。

別れることをここまで計算ずくで歌にしていいんだろうかと思います。ある意味ヒドイ歌なんですね。

そしてそのヒドサに気づかず、二人の恋物語の終焉に自分の身を擬えて身もだえして青春を過ごした・・・なんて言ったら身も蓋もない話になってしまいますね(W

いいじゃないですか。当時は気が付かなくても、松本隆と筒美京平にしてやられたとしても、相手の方が役者が上だったという話にすぎません。

よくよく考えてみてください。別れが現在進行形で表現されている歌ってあまり聞いたことがないですね。だって歌の中で半年も時間が現在進行形で経っているんです。

その半年で別れるんです。三回、「いいえ」とG → B7 → Em とマイナーに流れ込んで、四回目で「あなた、最後のわがまま」とお別れを切り出されてしまうのです。

まあ、想像をたくましくするば、彼氏は都会で別の彼女を作っているかもしれないし、彼女は彼女で別の人の彼女になりかけているしれないし。

wacciの歌っている「別の人の彼女になったよ」って別に目新しい話ではなく、昔からありがちなことなんですよね。

いずれにしても、松本隆は計算ずくでこの二人を半年の間に別れに導くべく布石を淡々と打ったわけです。

そして本来なら悲しいはずのモチーフをあまり深くに刺さるようにしないために、オブラートの役目をメロディが果たしていんのではないでしょうか。

つまり、

松本>筒美さん、こんな色々と仕掛けを施した歌詞にどうやって曲付けるんだろう。

筒美>松本君、相変わらず意地が悪いな、そうだ、仕掛けバレなければ松本君の目論見は破綻するから、キャッチ―なメロディ、しかも明るい曲でカモフラージュしちゃぇ。

松本>筒美さんに、仕掛けを消された。もっと本当は(リスナーに)難しく考えさせたかったのに・・・うまくやられてしまった

なんてね、まったくの与太話ですけどね(W

それにしても不思議な別れの歌となっています。色々な想像は出来ますから、真向反対の解釈だって可能だと思います。

そう、聴いた人に色々と考えさせる、これはクリエーター冥利に尽きる話ではないでしょうか。

こうやってハマっている人が多ければ多いほど、天国で筒美京平さんは笑っているかもしれません。

とは言っても、実はハマっていることを気付かない振りをして本当は気付いている自分がいるんですけどね。分かっていてハマる、それも又楽しいのですよ。

改めて、筒美京平さんのご冥福をお祈りいたします。

木綿のハンカチーフ #01

作曲家の筒美京平さんが十月七日に他界されました。

ご冥福をお祈りいたします。

さて、昭和で青春を過ごした人なら筒美京平の名を知らない人はあまりいないと思います。

良く知られている曲としては古くは「ブルーライトヨコハマ」「サザエさん」に始まり、レコード大賞は「また逢う日まで」「魅せられて」の二曲受賞して、歴代の作曲家総売り上げランキングでは一位と、日本のミュージックシーンにおおきな業績を残した偉大な作曲家となるのですが・・・

その割には案外、その凄さを知られていないような気がします。

例えば「古賀メロディー」とかみたいな言われ方はしないですよね。と言いましょうか、特定の音楽ジャンルにとどまらない曲風だったと思います。

知らない間に広まり、聴かれていた、そんな感じでしょうか。

特に七十年代、八十年代の活動は凄いの一言につきます。

何が凄いって、知っているヒット曲のかなりは筒美京平さんの作曲だと知らない場合が多いのではないでしょうか。

それくらい多岐に幅の広い活動だったと言えるのではないでしょうか。

そんな筒美京平さんの代表曲をと言われてもあまりにも多すぎて選べないのですが、それでも無理無理、JFEXが選んだのは「木綿のハンカチーフ」です。

松本隆さんとコンビは有名ですが、特に太田裕美さんの四曲目のシングルとなるこの歌は個人的な思い入れがあり、ちょっと話をしてみたいと思いました。

太田裕美さんもヒット曲は沢山持っていますが、この曲が一番好きと言うよりは、心に残っているという人はかなり多いのではないかと思っています。

はっきり言ってこの詩は曲を付けるのが無茶苦茶難しいように思います。かなり緻密に言葉をちりばめているし、一人の歌唱で男女の掛け合いというのはあまり例がありません。

当時はすでに松本隆さんと筒美京平さんはコンビでかなりの曲を作り上げています。

面白いのは、ALFIEやオフコース(当時は小田和正と鈴木康弘の二人)なんかにも、このコンビで楽曲を提供しているんですね。まあ、当時はALFIEやオフコースもアイドル扱いだったようですけど。

前置きはこれくらいにして、少し歌詞をみてみたいと思います。

リリースは1975年12月です。昭和50年です。

あ、この詩については色々な人が色々な解釈をしていますが、それはあまり気にしてません。

まず、冒頭の

>恋人よ僕は旅立つ

今時、恋人よなんて呼びかけはしないだろうと思うし、当時だってリアルではしないと思います。

ただ、堺正章さんが「さらば恋人」という曲を、1971年にリリースしています。詩の中に恋人と言う言葉出てきませんけど。ちなみに、作詞は北山修、作曲がやはりと言いましょうか、筒美京平です。

そして、1980年に五輪真弓さんの作詞、作曲、歌唱で「恋人よ」なんて名曲もあります。こちらは、曲中で「恋人よ」と呼びかけています。

まあ、時代は音楽として受け入れるのはアリだったんたと思います。

松本隆は「恋人よ僕は旅立つ」と呼びかけを冒頭に置きました。

つまり、「僕」ですから男からの呼びかけで二人の関係は始まるのだよと言う設定と言いましょうか、メッセージをこの冒頭の「恋人よ僕は旅立つ」に込めたのではないかと推測します。

そしてもう一つ、「旅立つ」です。

これは二人の物理的かつ心理的な距離感を表すと思います。例えば、次の

>東へと向かう列車で

にもつながりますが、仮に向かう先が東京だったとして、田舎から出てくるにしても、山梨や静岡あたりなら「旅立つ」とはなりづらいでしょう。通勤圏とはいいませんが、長距離恋愛とも言い難い。

当時でも新幹線や飛行機はありますが、この二つの言葉「旅立つ」と「列車」から想起出来るのは、(東京行の)寝台夜行列車ではないかと推測します。

今なら、「瀬戸」でしょうか。

当時はブルートレインも走っていましたし、寝台の急行列車もかなりありましたから特定は出来ませんし、特定出来ないようにしていると思います。

いずれにしても、二人の間の距離は今まで経験したことのないような途方もないものになってしまう予感をこの冒頭の呼びかけで表現していると思われます。

>はなやいだ街で君への贈り物
>探す探すつもりだ

ここで男性は都会でと言わずに、「はなやいだ街で」と表現しています。以降は都会とワードが男女ともに出てきますが、ここだけは「はなやいだ街」なのです。

細かいことを言えば、

はなやいだまち できみへの おくりもの

は、七文字、五文字、五文字に分解出来ます。これはおそらく音符を付けやすくなるのではないかと思います。


>いいえあなた私は
>欲しいものはないのよ

ここではっきりとしているのは、女性からは「あたな」と呼びかけていることです。

やはり一般的な呼びかけとして「恋人よ」は男性からとうことなんだと思います。五輪真弓の「恋人よ」は例外かもしれません。

そして先の「はなやいだ街」に対して彼女の返す言葉は


>ただ都会の絵具に

この「都会の絵具」と「はなやいだ街」が呼応しているかのように見えます。

そして欲しいものはない、だけど望むことは


>染まらないで帰って
>染まらないで帰って

二度も呼びかけています。男性側から女性側に二度同じことを呼びかけはしていません。女性側からのみです。これは、一番から四番の歌詞すべてに共通しています。
切実さの違いがこの呼びかけに出ているように思います。

更に余計なことかもしれませんが、絵具に染まらないでというくらいですから、二人の共通のカルチャーは「絵画」なのかなと思ました。例えば、高校生の頃は二人は「美術部」に在籍していたとか、そんな想像も出来ると思います。

さて、さて、一番を見ただけで結構な分量になってしまいしまた。

続く・・・

四月は君の嘘・・・補足 #01

前回の投稿の補足です。
http://www.jfex.com/?p=253

宮園かをりが有馬公正を事前に知っていた布石として2点ほど上げましたが、物語を視聴中にはそれで当確と言う判断は出来ません。

しかし後から思い返せばと言うことですが、つまり、宮園かをりが有馬公正を事前に知っていたとしても不自然で無い布石と考えれば良いのかなと思います。

最後に唐突に「嘘」について手紙で知らされたとしたら、有馬公正は突然のコトかもしれませんが、見ている視聴者からしたらいささか不自然に感じるような気がします。

夢オチではないのですから、事前の自然な流れを作ると言うのは、作者の気配りが良く出来ているということですね。

じゃないと、やはり布石の無い種明かしは物語の興味を失わせてしまいますからね。

何度も見ると言うのは、こう言った布石の見逃しを探すということもあります。良く出来た物語は何回も読んだり視聴するに耐えるモノだと思います。

死んで物語りが終わりと言うのは管理人にとってあまり好きな展開では無いのですが、そこはおいとくことにします。

それとこのアニメは月間少年マガジンの連載と言うことなんですが、対象年齢はどれくらいにみておけば良いのか、ちょっと管理人としては分かりません。

週刊の少年誌(サンデー、マガジン、チャンピオン等)は管理人が小学生の高学年くらいから読んでいました。それが高校生になる頃には所謂青年誌(ビックコミック、ビックコミックオリジナル等)に変わっていったように記憶します。

月刊少年マガジンと言うのは管理人が子供の頃には無かったと記憶していたのですが、Wikiで調べると1964年に創刊された別冊少年マガジンを前身として1969年に「月刊別冊少年マガジン」に改称してその後休刊。1974年に復刊し1975年に「月刊少年マガジン」に改称とありました。

おそらく管理人が少年マガジンを読んでいた頃は休刊していたようですね。買った記憶はないですからね。

ちなみに「四月は君の嘘」はシリーズ累計発行部数500万部越えとか。

月刊少年マガジンの発行部数が39万部ということからみると、随分と人気の高い作品だったことが伺えます。

まあ、購読者の範囲は小学生の高学年くらいから大人まで範囲は広いように思いますが、主力の購買層はどこら辺を想定しているのでしょうか。「四月は君の嘘」の主人公は中学生ですから、やはりそこら辺りは主力なのかもしれませんね。

中学生位にしてみるとこの物語の受け止め方ってどんな感じになるんでしょうか。

管理人の中学生の頃にはインターネット、SNS、携帯電話なんてツールはありませんでしたから、それに関わりのあるところは想像も出来ませんが、本質的なことはあまり変わらないように思いますと言いましょうか、思いたいですね(笑

我々の世代と同じように友人関係で悩み、自分の将来に不安を持ち、そしてなんと言っても異性に対して今まで持ち得なかった感情が芽生えるなんてね。

そうそう、今時は「中二病」とか言って思春期の独特な心情を揶揄的に表現するネットスラングがあるようですね。

ついでですが「中二病でも恋がしたい」なんて一度見たことがありますが、いくら何でも中学生でダークフレイムマスターとか邪王真眼は無いだろうと苦笑いしてしまいました。最も邪王真眼は高校生になっても中二病が直っていないなんて話でしたから、いくら何でもそりゃ無かろうと更に思いましたけどね。

話がそれましたが、思春期の多情多感な時期でこのような物語から受ける影響は大人のそれと比較にはならないでしょう。自分もそうだったと思います。

安易に死を物語で扱って欲しくないと言う想いもありますが、現実の人生には本当に愛しい人を失ってしまうこともあるかもしれないと言う想像は必要なコトかもしれません。

そうであるからこそ、現実を一生懸命生きる・・・そんな風に思ってくれたらいいですね。

説教くさい話ではなくて、あくまでも管理人の個人的な希望です。ハイ。

四月は君の嘘

最初に取り上げるアニメは「四月は君の嘘」になりました。

なんでこれになったのか。説明はすると面倒なのでしません。

それで、結論から先に言ってしまいますと「刺さる」アニメ、物語だった思います。

以下、ネタバレになりますので、ご承知おき下さい。

古今の物語で、薄幸、短命な美少女はよくある設定です。

少し話は外れますが、管理人が少年時代に読みふけった漫画で今でも知られているものが三つほどあります。

「巨人の星」
「明日のジョー」
「夕焼け番長」

の三作品です。

今後取り上げる機会もあるかもしれませんが、取りあえずこの三本とも帰らぬ人が出てきます。

思えば、最近のアニメはあまりこのような設定は見かけませんでした。時代なのかもしれませんけどね。

「巨人の星」と「夕焼け番長」は薄幸の美少女の設定でした。

明日のジョーは力石徹ですからまあこれはちっと違います。

少年時代はそれほどこの点について深く考えることはありませんでした。

むしろ、「いつまでもメソメソしてんじゃないよ、早く立ち直れよ」くらいに感じていたように思います。

しかし管理人も年齢が上がるにしたがって、どうもこの劇中で人が死んでいく、それも愛しい人が死んでいくと言う設定は辛くなってきたのです。

そもそも、なんで漫画やアニメ、もしくは映画などを見るのかということなんですが、それは疑似体験をすることによって劇中に自らを埋没させる、まあ、よく言われる感情移入と言うヤツなんですが、それをしたいためだと特に最近感じています。

そうすると、あまり悲しい話はいいや、という風になってきたのです。

だって現実ってより悲しいコトが多いと言いましょうか、現実の方が悲しいということが分かってしまったからです。

だから、愛する人が死んでしまう、しかも年若くしてなんて話は本当は御免被りたいのです。

分かっていても、その作品が良ければ良いほど心の底に溜まっている澱が引っかき回されるような感じになり、辛くなってくるのです。

だから、この「四月は君の嘘」をネットの記事か何かでネタバレして事前に知っていたら、おそらく見ることは無かった思います。

何で見てしまったのだろかと思うと、加入している動画配信で評価が高かったというのもありますが、ほぼ偶然です。

さて、まだ一回しか見ていませんし、原作も読んでいません。その上での話です。

色々と調べてみると原作は月刊誌の連載漫画で、約4年間で44話、単行本で11巻とありましたから、22話のアニメならほぼ同じ内容だと思います。

つまり、この物語にはシーズン2とか第二期とかは無いということですね。

しかも、漫画とアニメの終了が殆ど同じ時期ということでした。Wikiで調べればすぐ分かることです。

この辺りのことは見てから調べましたから、事前には知らなかったです。

まず、布石と言いましょうか伏線がかなりはっきりおいてありましたね。

最初に気づいたのは、宮園かおりが舞台で倒れました。

この時、「え、死んでしまう設定かよ」

と思わず凹みました。

そして、椿との帰り、降りたバス停は・・・まあ、ここまでご丁寧にやってくれれば誰だって分かりますよね。

実はこの時管理人は一つ見落としていました。それは後で。

そして、その後、井川と相座が有馬を当然のように知っていたことですが、これで「嘘」が見えてしまいました。

そりゃそうです。井川と相座が知っているとしたら、当然、宮園だって知っていておかしくないでしょう。

そして見落としですが、有馬が二年ぶりに姿を見せたとき、宮園かをりと演奏したときにですが、会場がどよめきましたよね。

会場に来ている人たちは殆ど「有馬公生」を知っていた描写になっていました。

実は、このときにすでに「嘘」は分かってしまったはずです。

そう、宮園かをりは有馬公生を昔から知っていたということになれば、最初の出会いは「嘘」だと言うことを。

そうなるともう、結末は見えてきたしまう訳です。

不幸な結末がはっきり言って管理人は嫌いです。だから、ハリウッド映画が好きです。ハッピーエンドがいいです。

だから、もう後半は辛くなって感情移入をしたくなくなります。

「刺さる」と言うのは的確な表現か分かりませんが、痛いことなんですよね。

そして刺さり方が深くなって行くと言うことはその作品のレベルが高いと言うことでもあります。

特に、演奏のシーンは素晴らしい。楽器の演奏シーンのリアルさがよりその刺さり具合を深めて行く。実際の演奏の3CG化なのかもしれませんが手間がかかることはこの上ないでしょう。やはりアニメでは正確な演奏シーンはというのは難しいことだと思います。

そして最後の「手紙」

もう、勘弁して下さいとしか言いようがありません。分かっていても、タダでさえ涙腺の緩い管理人には堪らないです。

でも、誤解しないで下さい。

この主人公になりたいなんて絶対に思いません。

つまりそれがこのアニメを見たくなかった最大の理由です。

しかも、演奏会の途中からお墓のシーンに移るんですが、これがまた堪らない。もう止めてくれでしたね。

ああ、それでも途中で止めるかと言えばそれは出来ません。ドンデン返しが絶対に無いとは言えないからです。因果な話です。

一つ救われたのは宮園かをりがおそらくは半分本気で有馬公生に「心中」を迫ったとき、彼が明確に拒否したことです。

宮園かをりも本気だったとは思いませんが。(こう思うこと自体が実は感情移入している証拠ですね)(苦笑)

実際この話は「嘘」で終わってしまってはいけないとろだと思います。これから「有馬公生」が世界的ピアニストへと・・・その通過点と言う扱いなら、この悲しみも救われる部分があると思うのですが・・・まあ、無いのでしょうね。

この手の話は2回目の方が辛くなってくることがあります。それは結末を知っていると言うのもありますが、もっとリアルに「宮園かをり」の心情をトレースしてしまうからだと思います。

あの笑顔も泣き顔も全て承知の上だと言うことになると、そして「嘘」と知りつつ出会のシーンを見てしまうと・・・最初のシーンの印象が大分違って見えてしまうでしょうね。こんなコトを思うのは大人げないかもしれませんが、やはりそれは辛いなと思います。

ちょっと気になったのは、冒頭に「ハトと少年」を劇中でピアニカで宮園かをりと子供達が演奏していましたが、あれは何の布石だったのでしょうか。謎です。

パズーとシータの物語が始まるよとの謎かけだったのでしょうか。単なる偶然なのか。原作ではどうなっているのか確認したいところでね。

まあ、色々と書きましたが、それでももう一度は見てしまうだろうなと思います。

最後になりますが・・・

今時のアニメと言いましょうか漫画と言いましょうか年寄りじみた物言いで申し訳ないですが、随所に出てくる「ギャグ的表現」はお約束なんでしょう。

シリアスな物語でも容赦無く出てきます。誤解されるといけませんが決して管理人はこれが嫌いではないです。ただ、過度の多用は作品にのめり込むモチベーションを下げることになります。

それは「ギャグ表現」が時折シリアスな物語の足を引っ張るからです。

この作品に関してはもうちょっと少なくても良かったかな・・・

なんてふと思ってしまいましたが、もし「ギャグ的表現」が無かったとしたら息の詰まった状態になり、管理人は途中で視聴を止めていたかもしれません。

だとすればこれはこれで受け入れて良かったのかなと思いました。