「松本隆」タグアーカイブ

木綿のハンカチーフ #02

もう少し一番の歌詞にこだわりましょう。

>はなやいだ街

>都会の絵具

都会の絵具とはなんでしょうか。もう少し別の言い方をすると絵具の色は?

絵具だから色々と種類はあるかもしれませんが、

はなやいだ(色の)都会(街)の絵具

と繋げて補完すれば絵具の色のイメージが出てくると思います。

頭の中にワードを適当に埋め込まれているから、こんな補完を無意識のうちにしているように思います。

つまり彼女は彼の「はなやいだ街」でにすでに相手の変貌に対して危機感をいだき始めていると言ってもいいのかもしれません。

そして「君のへの贈り物さがすつもりだ」と繋がります。

そして、彼女は

>いいえ、欲しいものはないのよ

彼はすでに彼女の気持ちを見誤っていることがここで分かります。気持ちが離れていく最初の一歩です。

さて、ここまで一番にこだわったのは訳があります。

大概の歌詞は一番がテンプレートになっています。つまり一番の歌詞にその世界観が表され、表現のパターンが規定される場合が多い訳です。

つまり、ここまで一番で見事なテンプレートが出来ていれば、あとの作業は比較的楽なはずです。

彼女は、一番から三番まで、

>いいえあなた・・・

と三回、否定します。

この、「いいえ」から彼女のパートになるのですが、実はここからマイナーに変更になります。

三回否定したあとに、

>あなた最後のわがまま

とお別れです。今時の言葉で言えば価値観の相違ってヤツでしょうか。それが三度会って終わりと相成るわけです。

それは、この一番のテンプレートを三回踏襲すると言うことですが、まさに、起承転結の四話で終わるわけです。

そして、メルディ―についても言及しますと、そのメロディの明るさについてですが、

前半の男性のパートの部分は、

>僕は旅立つ

で、一気に高音に持っていきます。

旅立つ高揚感か都会へ出ていく期待が膨らんでいるのか、その昂った気持ちはここに凝縮されているかのようです。

そして明るいメロディ、メジャーなメロディは彼の都会へのあこがれ、期待とリンケージしていると思います。

そして、後半、彼女のパートに移行するとき

オリジナルのキーはAですが、分かりやすくするためにコードはGとして、

彼のパートかり彼女のパートに移るときベース音が

G → F# → E

コードは

G B7 Em

と流れていきます。

このコード進行はある意味鉄板です。

前半メジャーだったキーがここからマイナーになる分岐点ですが、今時な当たり前に使われていますが、45年前に歌謡曲をメインに作曲していた筒美京平はこのJ-POP感覚のコード進行をすでに取り入れていたようです。

荒井由実はいましたが、少し前には「神田川」が大ヒットしたていたくらいですから、当時とすれば随分とシャレたアレンジだったように思います。

もっともシャレたと言えば、イントロからオブリガードは当時の歌謡曲らしかぬアレンジですね。

編曲のクレジットは「筒美京平・荻田光雄」となっています。また逢う日までのイントロは筒美京平のアレンジというのは有名な話ですが、イントロで掴むというのはこの曲でも同様です。

話がそれましたが、印象的なイントロとオブリガード、キャッチ―なメロディ、前半はメジャーで彼氏の都会への憧憬を表し、後半はマイナーで彼女の危機感を合わす。

これで完璧なテンプレートが出来上がり、そのテンプレートに沿って三回価値観の相違を見出して、四番でお別れです。

恋物語を終わらすのにあと何か必要ですかって感じですね。

別れることをここまで計算ずくで歌にしていいんだろうかと思います。ある意味ヒドイ歌なんですね。

そしてそのヒドサに気づかず、二人の恋物語の終焉に自分の身を擬えて身もだえして青春を過ごした・・・なんて言ったら身も蓋もない話になってしまいますね(W

いいじゃないですか。当時は気が付かなくても、松本隆と筒美京平にしてやられたとしても、相手の方が役者が上だったという話にすぎません。

よくよく考えてみてください。別れが現在進行形で表現されている歌ってあまり聞いたことがないですね。だって歌の中で半年も時間が現在進行形で経っているんです。

その半年で別れるんです。三回、「いいえ」とG → B7 → Em とマイナーに流れ込んで、四回目で「あなた、最後のわがまま」とお別れを切り出されてしまうのです。

まあ、想像をたくましくするば、彼氏は都会で別の彼女を作っているかもしれないし、彼女は彼女で別の人の彼女になりかけているしれないし。

wacciの歌っている「別の人の彼女になったよ」って別に目新しい話ではなく、昔からありがちなことなんですよね。

いずれにしても、松本隆は計算ずくでこの二人を半年の間に別れに導くべく布石を淡々と打ったわけです。

そして本来なら悲しいはずのモチーフをあまり深くに刺さるようにしないために、オブラートの役目をメロディが果たしていんのではないでしょうか。

つまり、

松本>筒美さん、こんな色々と仕掛けを施した歌詞にどうやって曲付けるんだろう。

筒美>松本君、相変わらず意地が悪いな、そうだ、仕掛けバレなければ松本君の目論見は破綻するから、キャッチ―なメロディ、しかも明るい曲でカモフラージュしちゃぇ。

松本>筒美さんに、仕掛けを消された。もっと本当は(リスナーに)難しく考えさせたかったのに・・・うまくやられてしまった

なんてね、まったくの与太話ですけどね(W

それにしても不思議な別れの歌となっています。色々な想像は出来ますから、真向反対の解釈だって可能だと思います。

そう、聴いた人に色々と考えさせる、これはクリエーター冥利に尽きる話ではないでしょうか。

こうやってハマっている人が多ければ多いほど、天国で筒美京平さんは笑っているかもしれません。

とは言っても、実はハマっていることを気付かない振りをして本当は気付いている自分がいるんですけどね。分かっていてハマる、それも又楽しいのですよ。

改めて、筒美京平さんのご冥福をお祈りいたします。

木綿のハンカチーフ #01

作曲家の筒美京平さんが十月七日に他界されました。

ご冥福をお祈りいたします。

さて、昭和で青春を過ごした人なら筒美京平の名を知らない人はあまりいないと思います。

良く知られている曲としては古くは「ブルーライトヨコハマ」「サザエさん」に始まり、レコード大賞は「また逢う日まで」「魅せられて」の二曲受賞して、歴代の作曲家総売り上げランキングでは一位と、日本のミュージックシーンにおおきな業績を残した偉大な作曲家となるのですが・・・

その割には案外、その凄さを知られていないような気がします。

例えば「古賀メロディー」とかみたいな言われ方はしないですよね。と言いましょうか、特定の音楽ジャンルにとどまらない曲風だったと思います。

知らない間に広まり、聴かれていた、そんな感じでしょうか。

特に七十年代、八十年代の活動は凄いの一言につきます。

何が凄いって、知っているヒット曲のかなりは筒美京平さんの作曲だと知らない場合が多いのではないでしょうか。

それくらい多岐に幅の広い活動だったと言えるのではないでしょうか。

そんな筒美京平さんの代表曲をと言われてもあまりにも多すぎて選べないのですが、それでも無理無理、JFEXが選んだのは「木綿のハンカチーフ」です。

松本隆さんとコンビは有名ですが、特に太田裕美さんの四曲目のシングルとなるこの歌は個人的な思い入れがあり、ちょっと話をしてみたいと思いました。

太田裕美さんもヒット曲は沢山持っていますが、この曲が一番好きと言うよりは、心に残っているという人はかなり多いのではないかと思っています。

はっきり言ってこの詩は曲を付けるのが無茶苦茶難しいように思います。かなり緻密に言葉をちりばめているし、一人の歌唱で男女の掛け合いというのはあまり例がありません。

当時はすでに松本隆さんと筒美京平さんはコンビでかなりの曲を作り上げています。

面白いのは、ALFIEやオフコース(当時は小田和正と鈴木康弘の二人)なんかにも、このコンビで楽曲を提供しているんですね。まあ、当時はALFIEやオフコースもアイドル扱いだったようですけど。

前置きはこれくらいにして、少し歌詞をみてみたいと思います。

リリースは1975年12月です。昭和50年です。

あ、この詩については色々な人が色々な解釈をしていますが、それはあまり気にしてません。

まず、冒頭の

>恋人よ僕は旅立つ

今時、恋人よなんて呼びかけはしないだろうと思うし、当時だってリアルではしないと思います。

ただ、堺正章さんが「さらば恋人」という曲を、1971年にリリースしています。詩の中に恋人と言う言葉出てきませんけど。ちなみに、作詞は北山修、作曲がやはりと言いましょうか、筒美京平です。

そして、1980年に五輪真弓さんの作詞、作曲、歌唱で「恋人よ」なんて名曲もあります。こちらは、曲中で「恋人よ」と呼びかけています。

まあ、時代は音楽として受け入れるのはアリだったんたと思います。

松本隆は「恋人よ僕は旅立つ」と呼びかけを冒頭に置きました。

つまり、「僕」ですから男からの呼びかけで二人の関係は始まるのだよと言う設定と言いましょうか、メッセージをこの冒頭の「恋人よ僕は旅立つ」に込めたのではないかと推測します。

そしてもう一つ、「旅立つ」です。

これは二人の物理的かつ心理的な距離感を表すと思います。例えば、次の

>東へと向かう列車で

にもつながりますが、仮に向かう先が東京だったとして、田舎から出てくるにしても、山梨や静岡あたりなら「旅立つ」とはなりづらいでしょう。通勤圏とはいいませんが、長距離恋愛とも言い難い。

当時でも新幹線や飛行機はありますが、この二つの言葉「旅立つ」と「列車」から想起出来るのは、(東京行の)寝台夜行列車ではないかと推測します。

今なら、「瀬戸」でしょうか。

当時はブルートレインも走っていましたし、寝台の急行列車もかなりありましたから特定は出来ませんし、特定出来ないようにしていると思います。

いずれにしても、二人の間の距離は今まで経験したことのないような途方もないものになってしまう予感をこの冒頭の呼びかけで表現していると思われます。

>はなやいだ街で君への贈り物
>探す探すつもりだ

ここで男性は都会でと言わずに、「はなやいだ街で」と表現しています。以降は都会とワードが男女ともに出てきますが、ここだけは「はなやいだ街」なのです。

細かいことを言えば、

はなやいだまち できみへの おくりもの

は、七文字、五文字、五文字に分解出来ます。これはおそらく音符を付けやすくなるのではないかと思います。


>いいえあなた私は
>欲しいものはないのよ

ここではっきりとしているのは、女性からは「あたな」と呼びかけていることです。

やはり一般的な呼びかけとして「恋人よ」は男性からとうことなんだと思います。五輪真弓の「恋人よ」は例外かもしれません。

そして先の「はなやいだ街」に対して彼女の返す言葉は


>ただ都会の絵具に

この「都会の絵具」と「はなやいだ街」が呼応しているかのように見えます。

そして欲しいものはない、だけど望むことは


>染まらないで帰って
>染まらないで帰って

二度も呼びかけています。男性側から女性側に二度同じことを呼びかけはしていません。女性側からのみです。これは、一番から四番の歌詞すべてに共通しています。
切実さの違いがこの呼びかけに出ているように思います。

更に余計なことかもしれませんが、絵具に染まらないでというくらいですから、二人の共通のカルチャーは「絵画」なのかなと思ました。例えば、高校生の頃は二人は「美術部」に在籍していたとか、そんな想像も出来ると思います。

さて、さて、一番を見ただけで結構な分量になってしまいしまた。

続く・・・