「四月は君の嘘」タグアーカイブ

四月は君の嘘

最初に取り上げるアニメは「四月は君の嘘」になりました。

なんでこれになったのか。説明はすると面倒なのでしません。

それで、結論から先に言ってしまいますと「刺さる」アニメ、物語だった思います。

以下、ネタバレになりますので、ご承知おき下さい。

古今の物語で、薄幸、短命な美少女はよくある設定です。

少し話は外れますが、管理人が少年時代に読みふけった漫画で今でも知られているものが三つほどあります。

「巨人の星」
「明日のジョー」
「夕焼け番長」

の三作品です。

今後取り上げる機会もあるかもしれませんが、取りあえずこの三本とも帰らぬ人が出てきます。

思えば、最近のアニメはあまりこのような設定は見かけませんでした。時代なのかもしれませんけどね。

「巨人の星」と「夕焼け番長」は薄幸の美少女の設定でした。

明日のジョーは力石徹ですからまあこれはちっと違います。

少年時代はそれほどこの点について深く考えることはありませんでした。

むしろ、「いつまでもメソメソしてんじゃないよ、早く立ち直れよ」くらいに感じていたように思います。

しかし管理人も年齢が上がるにしたがって、どうもこの劇中で人が死んでいく、それも愛しい人が死んでいくと言う設定は辛くなってきたのです。

そもそも、なんで漫画やアニメ、もしくは映画などを見るのかということなんですが、それは疑似体験をすることによって劇中に自らを埋没させる、まあ、よく言われる感情移入と言うヤツなんですが、それをしたいためだと特に最近感じています。

そうすると、あまり悲しい話はいいや、という風になってきたのです。

だって現実ってより悲しいコトが多いと言いましょうか、現実の方が悲しいということが分かってしまったからです。

だから、愛する人が死んでしまう、しかも年若くしてなんて話は本当は御免被りたいのです。

分かっていても、その作品が良ければ良いほど心の底に溜まっている澱が引っかき回されるような感じになり、辛くなってくるのです。

だから、この「四月は君の嘘」をネットの記事か何かでネタバレして事前に知っていたら、おそらく見ることは無かった思います。

何で見てしまったのだろかと思うと、加入している動画配信で評価が高かったというのもありますが、ほぼ偶然です。

さて、まだ一回しか見ていませんし、原作も読んでいません。その上での話です。

色々と調べてみると原作は月刊誌の連載漫画で、約4年間で44話、単行本で11巻とありましたから、22話のアニメならほぼ同じ内容だと思います。

つまり、この物語にはシーズン2とか第二期とかは無いということですね。

しかも、漫画とアニメの終了が殆ど同じ時期ということでした。Wikiで調べればすぐ分かることです。

この辺りのことは見てから調べましたから、事前には知らなかったです。

まず、布石と言いましょうか伏線がかなりはっきりおいてありましたね。

最初に気づいたのは、宮園かおりが舞台で倒れました。

この時、「え、死んでしまう設定かよ」

と思わず凹みました。

そして、椿との帰り、降りたバス停は・・・まあ、ここまでご丁寧にやってくれれば誰だって分かりますよね。

実はこの時管理人は一つ見落としていました。それは後で。

そして、その後、井川と相座が有馬を当然のように知っていたことですが、これで「嘘」が見えてしまいました。

そりゃそうです。井川と相座が知っているとしたら、当然、宮園だって知っていておかしくないでしょう。

そして見落としですが、有馬が二年ぶりに姿を見せたとき、宮園かをりと演奏したときにですが、会場がどよめきましたよね。

会場に来ている人たちは殆ど「有馬公生」を知っていた描写になっていました。

実は、このときにすでに「嘘」は分かってしまったはずです。

そう、宮園かをりは有馬公生を昔から知っていたということになれば、最初の出会いは「嘘」だと言うことを。

そうなるともう、結末は見えてきたしまう訳です。

不幸な結末がはっきり言って管理人は嫌いです。だから、ハリウッド映画が好きです。ハッピーエンドがいいです。

だから、もう後半は辛くなって感情移入をしたくなくなります。

「刺さる」と言うのは的確な表現か分かりませんが、痛いことなんですよね。

そして刺さり方が深くなって行くと言うことはその作品のレベルが高いと言うことでもあります。

特に、演奏のシーンは素晴らしい。楽器の演奏シーンのリアルさがよりその刺さり具合を深めて行く。実際の演奏の3CG化なのかもしれませんが手間がかかることはこの上ないでしょう。やはりアニメでは正確な演奏シーンはというのは難しいことだと思います。

そして最後の「手紙」

もう、勘弁して下さいとしか言いようがありません。分かっていても、タダでさえ涙腺の緩い管理人には堪らないです。

でも、誤解しないで下さい。

この主人公になりたいなんて絶対に思いません。

つまりそれがこのアニメを見たくなかった最大の理由です。

しかも、演奏会の途中からお墓のシーンに移るんですが、これがまた堪らない。もう止めてくれでしたね。

ああ、それでも途中で止めるかと言えばそれは出来ません。ドンデン返しが絶対に無いとは言えないからです。因果な話です。

一つ救われたのは宮園かをりがおそらくは半分本気で有馬公生に「心中」を迫ったとき、彼が明確に拒否したことです。

宮園かをりも本気だったとは思いませんが。(こう思うこと自体が実は感情移入している証拠ですね)(苦笑)

実際この話は「嘘」で終わってしまってはいけないとろだと思います。これから「有馬公生」が世界的ピアニストへと・・・その通過点と言う扱いなら、この悲しみも救われる部分があると思うのですが・・・まあ、無いのでしょうね。

この手の話は2回目の方が辛くなってくることがあります。それは結末を知っていると言うのもありますが、もっとリアルに「宮園かをり」の心情をトレースしてしまうからだと思います。

あの笑顔も泣き顔も全て承知の上だと言うことになると、そして「嘘」と知りつつ出会のシーンを見てしまうと・・・最初のシーンの印象が大分違って見えてしまうでしょうね。こんなコトを思うのは大人げないかもしれませんが、やはりそれは辛いなと思います。

ちょっと気になったのは、冒頭に「ハトと少年」を劇中でピアニカで宮園かをりと子供達が演奏していましたが、あれは何の布石だったのでしょうか。謎です。

パズーとシータの物語が始まるよとの謎かけだったのでしょうか。単なる偶然なのか。原作ではどうなっているのか確認したいところでね。

まあ、色々と書きましたが、それでももう一度は見てしまうだろうなと思います。

最後になりますが・・・

今時のアニメと言いましょうか漫画と言いましょうか年寄りじみた物言いで申し訳ないですが、随所に出てくる「ギャグ的表現」はお約束なんでしょう。

シリアスな物語でも容赦無く出てきます。誤解されるといけませんが決して管理人はこれが嫌いではないです。ただ、過度の多用は作品にのめり込むモチベーションを下げることになります。

それは「ギャグ表現」が時折シリアスな物語の足を引っ張るからです。

この作品に関してはもうちょっと少なくても良かったかな・・・

なんてふと思ってしまいましたが、もし「ギャグ的表現」が無かったとしたら息の詰まった状態になり、管理人は途中で視聴を止めていたかもしれません。

だとすればこれはこれで受け入れて良かったのかなと思いました。